アメリカインディアンは、1250年前の儀式で、興奮剤として泡状のチョコレートドリンクを飲んでいました。 米国コロラド州南部から、メキシコチワワ州北部にかけての地域で飲まれ、この泡状のチョコレートドリンクは、西暦750年頃から飲まれていました。
初期のアメリカインディアンは1250年以上前に泡状のチョコレートドリンクを楽しんでいたと、科学者たちは述べています。 コロラド州南部からメキシコ北部のチワワ州に伸びた地域で、西暦750年頃、チョコレート飲料が飲まれていたことが研究から明らかになりました。
6年前、ニューメキシコ州のチャコキャニオン(Chaco Canyon)で、粘土の陶器からカカオの残りかすが発見されました。 考古学者は、いつ、どのように、カカオが中央アメリカからの米国南西部にもたらされたのか疑問視していました。
研究では、ネイティブのアメリカインディアンは、採掘された宝石類とカカオ豆を中央アメリカ地域と交易していたと述べられています。 チョコレートドリンクは、儀式で使用されました。 教授パトリシア・クラウン(Patricia Crown)氏は、アリゾナ州、コロラド州、ニューメキシコ州、チワワ州(メキシコ)の18のポイントから発掘した177の陶磁器に付着した残留物を最先端の電子顕微鏡を用いて調査しました。
米国科学アカデミー概要(National Academy of Sciences)に発表された調査結果には、約700マイル(約1,100キロメートル)の広範囲な地域で、少なくとも西暦750年頃から約1400年の間、カフェイン入りの飲み物が消費されていたことが明らかになりました。
メキシコと中央アメリカにかけての地域で、マヤ、アステカやメソアメリカなどの古代人は、儀式用の飲み物を作るため、カカオの木から採れるカカオ豆を利用していました。 それは、チョコレートの初期の形態で、泡状の飲み物として飲まれていました。
コーヒーほどではありませんが、チョコレートは少量のカフェインを含んでいます。
分析から、カフェインとカカオ豆の二つの主な化学物質であるテオブロミンとテオフィリンの痕跡が確認されました。
研究者は、この刺激の高い飲み物は、日常的に消費されていたというよりも、冠婚葬祭時など、儀式の際に飲まれていたと推測しています。
これらのチョコレートドリンクを飲む行為は、これらの南北地域で、類似した慣行であっただろうと推測されます。 調査結果はまた、地理的に離れた南北アメリカの貿易に光を当てることができます。
ニューメキシコ大学のクラウン教授は、朱色のコンゴウインコやその羽、黄鉄鉱の鏡、および銅鐘など、儀式の際に用いられる重要な品々がこの時期もたらされたことも説明がつくと述べています。
米国南西部とメキシコ北西部の18ポイントで見つかった陶器の破片に残った有機残留物の分析から、カフェイン、テオブロミン、テオフィリンが検出されました。
これらは、カカオやヒイラギの葉、小枝を使用してエナジードリンクが作られていたことを示しています。
有機残留物は、西暦750頃から1400年頃までの期間の全てで検出され、米国コロラド州南部から、メキシコチワワ州北部にかけての広い地域に分布していました。 この地域の南北アメリカで、集団生活が営まれ、儀式でエナジードリンクが消費されていました。 この結果は、この広い地域の経済的、社会的関係を意味しています。
クラウン教授はまた、2つの異なるカフェイン植物の普及を明らかに述べています。 カカオとヒイラギです。 ともに儀式で飲料として飲まれていました。
これは、米国南西部からメキシコ北西部で、ヒイラギ飲料が飲まれていたことを示す、初めての発見です。
カカオとヒイラギ飲料の消費は、広い地域で文化的慣行の共有があったことを物語っています。
先史時代から、中南米で育つ熱帯の果実であるカカオは、メキシコからコスタリカに伸びるメソアメリカ地域でのみ栽培されていました。
メソアメリの人々は、米国で採掘されるトルコ石(ターコイズ)などの宝石とカカオ豆を交易していた可能性が考えられています。
考古学者は、すでにこの地域で貿易が行われていることを知っていました。
例えば、メソアメリカ由来のオウムや銅鐘が、コロラド州南西部のプエブロ・ボニート(Pueblo Bonito)遺跡のような場所で見つかっています。
科学者たちはまた、現在のメキシコに位置するチチェン・イツァ(Chichén Itzá)の古代マヤ都市の廃墟にトルコ石(ターコイズ)の残骸を発見しています。
泡状のチョコレートドリンク、一度、味わってみたいですね(笑)。
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